この名牛が生まれたのは偶然では無い・・・

 現代黒毛和牛の種牡牛「田尻号」を生産し、その功績により黄綬紋章を受賞した田尻松蔵氏の顕彰碑の言葉。 「この名牛が生まれたのは偶然では無い。 自然的な要因と人為的な条件が融合しなければ叶わなかった・・・」

 「和牛」と言えば、世界の美食家が認める食材の雄(ゆう)だが、「和牛」否、黒毛和牛の歴史はたかだか150年だと言う。  

移動手段と言えば「車」であり、田畑の耕作ではトラクター(耕運機)だが、僕が子供の頃は(田舎の)屋根は茅葺(藁葺)で家屋敷の一角には「馬小屋」が在り、田畑の耕作や物品の搬送には「馬」が必須だったのだ。 (関東以北或いは九州では農耕に「馬」を使用する「耕馬」文化だが、近畿以西は牛を使用する「耕牛」文化。 にも拘らず、但馬牛、松坂牛など「神戸牛」の産地が関西なのはなぜ?)

だから150年前といえば明治42年。  兵庫県香美町小代地区に住む田野徳三郎が種牛として和牛・周助蔓(しゅうすけつる)「ぬい号」を購入し、優良な雄牛「熱田牛」を生産。  小代村で「熱田牛」の子孫から優秀な雌牛を選別し、「あつた蔓牛組合」を結成。

やがて、昭和に入り広島県の「あつた蔓牛組合」と共に国内初の公認蔓牛組合結成となり黒毛和牛の基礎がつくられた-らしい。

更に、「但馬牛の歴史」では、

「開港と共に(神戸周辺では)外国人が多く居留し、それまで役牛だった但馬牛を外国産の牛と交雑し大型化して食肉用に改良したことから牛が狂暴になり、役牛として使用できないばかりか肉質も落ちてしまった。 そこで、県を挙げて純粋種の但馬牛を探した結果、小代の牛飼いだった田尻松蔵に出会い、「ぬい号」の子孫「田尻号」の誕生となった」と在る。

現在、黒毛和牛の99.99%が「田尻号」の血統(子孫)、繁殖雌牛だと言う。

 文明開化と共に食肉文化が始まり、それまで「役牛」でしか無かった牛を食肉として、しかも当初は英国人が開いた牛肉店へ納める肉質まで改良した日本(人)。

「車」ばかりでなく、移動通信システムでも(「5G」から「6G」に向けた)国を挙げた取組に👏👏👏

 話変わって「今日の昼飯」だが、パート先で豚カツ店「和幸」のお弁当を頂いた。

昔は大好きだった豚カツだが、今日は「牡蠣めし」にした。 ご馳走様でした😄😄

  


毛呂古酒's Ownd : 閑話休題

世間的には後期高齢者と言われるが、今暫く閻魔様にはお茶でも飲んでいただけるよう頑張ってみようかな?

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